2013年04月30日

勇敢に語る(使徒13章42−14章7節)

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議論する人々

そう考えますと、先ほどのバンベルクの町のクリッペは、もしかしたら初めてパウロが説教をした時と、二回目に説教をした時、その両方の場面を重ねて描いていたのかもしれないとも思うのです。

パウロの説教が会堂の中で、人々を動かします。町中の家々の軒先で、人々を動かすのです。ですから間違いなく描かれていますのは、次の45節以下の人々の反応であります。



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ブルームハルトの夕べの祈り 4月28日

そして私どもがさらに戦い続け、愛する方のうちにあって喜ぶことができますように。

祈りの最初のところ。私どもが神様の子供たちとなってお互いに喜んでいます、というところと重なるのです。私どもは信仰の戦いを続けます。でも愛する神様のうちにあり、戦いの中にあっても喜ぶことができると言うのです。


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私たちの救いの言葉(使徒13章26−41節)

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イエスの尋問

パウロは「救いの言葉」がすでに私どものところに送られましたと語っているのです。「救いの言葉」はとっくに来ている。あなたたちは救われる者となっているはずだ。
「救い」ということは人ごとではない。また当然のこととして理解し、分かっているというのではなくて、自分が、今、ここで関わっていること、もっとも大切なこととして関わらなければならないこととしてあるのだと言うのです。これは2000年前の昔の出来事ではなくて、今あなたが関わっている、キリストの十字架も復活も、私どもの救いの出来事としてあるのです。




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2013年04月18日

目を上げ、アブラムが見たもの(創世記13章)

『アブラムは、その所で主に祭壇を築いた』。すなわち、アブラハムは信じ、礼拝するのです。かれの目に映るのはちりです。かれの目がとどくかぎり、ちりです。かれは見ることなくして信じるのです。
 そこでアブラハムは、ふたたび、もう一度、信じる人の父となることができました…(W・リュティ)


ロトが目を上げ見たものは神の園のような土地でしたが、
アブラムが命じられて見上げたのはちりだったのです。

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2013年04月15日

励ましの言葉を語る(使徒13章13−25節)

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「そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った」(使徒言行録第13章16節)。

説教者はふつう座ったものであったそうです。ですから立ち上がるパウロの姿は異様だったでありましょう。だからお待ち下さいと手で人々を制したのです。そしてパウロは語ります。



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2013年04月13日

宣教の旅立ち(使徒13章1−12節)

新しい時代に入って参ります。
御言葉を携え、今、あなたがいるところを出てお行きなさいと、聖霊が命じるのです。
弟子たちは旅立ちます。最初の旅は船の旅でありました。

私どもはこの町、浦賀の港から船に乗って伝道旅行に出かけるということはなかなかないかもしれません。
もしかしたら浦賀湾の渡し船に乗って、集会へ、伝道へ、ということはあったかもしれないと考えますのは、少し愉快なことではありますが、パウロのように100キロも船に乗り、さらに100キロにも及ぶ、島を伝道の旅をするということはなかなかないでしょう。
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パウロの第1回宣教旅行 ドイツ・バンベルクの教会のクリッペ

しかし今、私どもには、この御言葉が与えられました。
聖霊も命じておられるに違いありません。

御言葉を携え出でよと。それはどういうことなのか、それを今日からみなさんと一緒に考えたい、弟子たちと一緒に喜びたいと心から願うのです。



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2013年04月02日

神に栄光を(使徒12章18−25節)

確かにここにはキリストの教会に対する迫害が記されていたのです。
そして登場したヘロデ王…神に栄光を帰するか、それとも人間である自分自身に栄光を帰するか、その極みにあった人の姿が描かれもいるのです。

しかし主題はそのような戦いの中での、人間自身の中においてもある戦いの中での奇跡的な救出です。そして描かれましたのは、神の言葉は永遠に栄えること、そして自分に栄えを帰する者は永遠にくずおれたという事実。ここに神さまにこそ栄光が帰せられる。十字架にかけられ死なれた主イエスの復活を祝う、この日にまったくふさわしいことではないでしょうか。
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そしてまた、今日、3月31日は、私ども浦賀教会の2012年度の歩みの最後の日でもあります。今日を最後に明日4月1日から、私どもの教会は新しい2013年度の歩みへと入って参ります。実は、今日の聖書の箇所、この箇所は、使徒言行録の中で、ひとつの区切りになる箇所だとも言われます。

そして次に何が来るか、使徒言行録の13章からは、かつてキリストの教会の迫害者であったサウロが、使徒パウロが、海へと乗り出して、外の世界への宣教へと旅立っていく、宣教旅行が始まるのです。これこそ、私どもの新年度を始める御言葉としてふさわしいとも思ったのです。

私どもが船に乗り宣教へと乗り出すことはなかなかないかもしれませんが、今日、この礼拝を終え、それぞれの生活へ、家庭へ、社会へと、帰って行くのであります。どうか来年度、使徒言行録を味わいながら、私どもの教会の宣教について味わいながら、御言葉を伝えるために遣わされるものとなりたいと願うのです。そのようなこれからの教会の歩みを願うのであります。



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