2013年06月13日

神の召しの確信(使徒15章36節−16章10節)

パウロの幻の中に現れるほどに、自分の故郷であるマケドニアに御言葉が伝えられることを願ったのではなかったか。そしてついにはパウロと一緒にマケドニアに向けて船出したのではなかったか。後にルカによる福音書を書いた。そしてパウロの旅に同行してこの使徒言行録すべてを書いた。そしてパウロの晩年まで行動を共にしたルカとここで出会っているのではないか。実はパウロの召しの確信と申し上げましたが、実は一番確信したのは、自分の人生が変えられてしまうくらい神様の召しを確信したのは、他ならぬこのルカだったのではないか。そのことをこの聖書の箇所から読むことができるのであります。



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2013年06月08日

励ましに満ちて(使徒15章22−35節)

「ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけ(た)」(使徒言行録第15章32節)。

迎えた使者のことばすべてがアンティオキアの教会に対する励ましの言葉であったと使徒言行録は記しているのです。その内容は詳しくは記されてはおりませんが、彼らが励まし力づけた言葉、そしてその励ましに満ちた言葉は、この私どもの教会にも与えられている言葉に違いありません。




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主イエスの恵み(使徒15章1−21節)

ここでたいへん重いことに思うのは、そのような少数派の、数少ない人々の意見でも、声が大きくなり、大きな教会でも揺るがしてしまうということです。それが旅人であったのにもかかわらず、ひとつの教会を真っ二つに別れさせてしまう。私ども人間の弱さでもあるのです。

一方でパウロとバルナバとが協議をすることができる、より大きな教会の組織があったということは恵みです。この問題について議論が重ねられました。そしてペトロが立ち上がり発言するのです。

かつてペトロ自身が、外国へと、異邦人への伝道のために立てられたことを。洗礼を受けた人々はペトロの目の前で聖霊を受けたのでした。それなのに「なぜ今あなたがたは」!キリストを信じ、キリストの教えを信じ、新しく信仰を持った人々に、割礼という習慣を、あるいは律法という重荷を担わせようとするのかと声を大にして主張するのです。



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信仰の門(使徒14章21−28節)

パウロとバルナバが伝道した町々に生まれた最初のキリスト者たち。パウロとバルナバたちは迫害を受けたと申し上げました。そのような中で、そのような町々で生活をしながら自分たちの信仰を守らなければならない、そういうキリスト者が数多く今回の伝道旅行で生まれたに違いないのです。

パウロとバルナバはそのような町々の最初のキリスト者たちの「魂への配慮」をするために今までたどってきた道を引き返して旅をしてきたのだと言います。



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