2016年03月25日

ですから思い切って前に進みましょう

更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。 
(コリントの信徒への手紙一 第15章15節)

パウロは、死者の復活がないと言うなら、神さまもキリストも否定し、あなたの信仰も洗礼も捨ててしまい、福音についてこれはうそだ、「神さまも、キリストもいないと信じている。信仰について言われていることには反吐が出る」と言うのと同じだと言います…
こうしてこのテキストは信仰者たちを力づけるのと、信じない人たちには、死者の復活を否定することは神さまへのとんでもない冒涜だと恐れさせることの、二つの役割を果たすのです。それはあたかもパウロが次のように言っているかのようです。
「コリントのみなさん、これは冗談でも冷やかしでもないのです。なぜならあなたがもし、死者の復活を否定するなら、それは何かありふれたものを否定するのでも、ただひとつのことを否定すると言うのでもないのです。そうではなくて神さまの目の前で、『神さまなんて神さまじゃない、キリストなんてたいしたことない等々』と言って、神さまがうそつきだと非難することなのです。でももしあなたたちが少しでも神さま、キリストを敬うなら――そうに違いありません。あなたがたはキリスト者でありたいと願い、わたしたちに説いて欲しいと願っているのですから――あなたがたは死者の復活を否定なんてできないのです。あなたがたはきっと次のように言わないではいられないでしょう。『本当にそうです。キリストが弟子たちにこうはっきりとおっしゃって、そればかりか、実際に行うことによってこのように証明されたのですから、これについては疑いようはありません』と。ですから思い切って前に進みましょう。死者の復活の言葉により、信仰をもって大胆にこの人生に別れを告げましょう。そしてこう確信するのです。わたしたちがずっと長い間、墓穴の中にあって、土に還った後に、美しいトランペットの音が鳴り響き、キリストがかつてラザロに言ったように、『ペトロよ、パウロよ、出て来なさい!』とおっしゃってくださるのだと」。

マルティン・ルター「コリント1書注解」より。1532年9月22日午後の説教
posted by かたつむり at 19:46| 神奈川 ☀| マルティン・ルター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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