2013年12月03日

全く自由に何の妨げもなく(使徒28章11−31節)

パウロの裁判はどうなったのですか?パウロは死刑判決を受けたのですか?それとも釈放されたのですか?

しかしルカはあまりにも、良い、立派な、パウロの弟子だったのです。ルカの関心事は福音がどうなるかということでした。もし使徒言行録のおしまいに不満があるとしたら、私どもの方が聖書的ではなく、考え方が間違っているという証拠でしかあり得ません。

福音は世界の中心といわれたローマで全く自由に何ものにも妨げられることなく宣べ伝えられる。このことにこそ、私どもは感謝し、喜ぶのです(ヴェルナー・デ・ボーア)。


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わたしたちは救われた(使徒27章39節−28章10節)

わたしたちは救われた
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キリスト者の航海(使徒27章21−38節)

キリスト者の航海
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キリスト者の船出(使徒27章1−20節)

キリスト者の船出
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2013年11月09日

あなたもキリスト者になってほしい(使徒26章19−32節)

今、語っているパウロ自身がそうだと思うのです。エルサレムで命を失ってしまうかもしれませんでした。自分の人生が、残酷にも、暴徒によって奪い去られてしまうかも知れませんでした。しかしそのような危険の中にありましても、私の人生はこれで終わることはありはしない。死を乗り越えてしまう信仰を持っているからですと言える。そのような信仰に生きているのです。ヘロデ王の前での裁判においても、自分の信仰を声高く語ることができるのです。それは、私と共に、キリストがいてくださっている。キリストが生きおられるから。

パウロ自身が、ダマスコの町に向かって、ほんとうに残酷なことを思い描いていたときとは、イエス・キリストを信じている者たちは一人残らずつかまえて引っ立てて行こうと決心をしていた時と今とは、こうも変わっているのです。パウロ自身が、自分の生き方、考え方が、もう天地がひっくり返るくらいに変わった。こんなにもすばらしいものに変えられたと告げているのではないでしょうか。

パウロのこの言葉は、告げる言葉の力強さは、それを聞く人をも変えてしまおうとするのです。だからこそ、アグリッパ王は「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」こう言わないではいられなかったのだと思うのです。



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