2013年05月03日

キリストの昇天 Christi Himmelfahrt(キリスト昇天日)

2013年5月9日はキリスト昇天日です。世界各地でこの日は国の祝日になっています。

アルプス近くの教会の昇天日の礼拝には、ロープで吊されたキリスト像が登場するのです。

「教会の暦」 キリスト昇天日を読む
posted by かたつむり at 13:40| 神奈川 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月11日

私たちを救って下さる方(使徒2章29〜36節)

 今日のところ、ペトロの説教のまさに最後のところで、ペトロはいよいよはっきりと語るのです。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」イエスはメシアである。主イエスはわたしたちの本当の救い主である。そう語るのです。

メシア、それは「油注がれた者」という意味のヘブライ語です。
イエス・キリスト。イエスという名前は旧約聖書の名前で言えばヨシュアにあたり、それは、「主なる神様がわたしたちを救ってくださる」という意味です。

そしてキリストは「香油を塗られた者」の意味で、それがメシア、ヘブライ語の「油注がれた者」のギリシア語への翻訳であるこも以前お話しした通りです。

posted by かたつむり at 19:50| 神奈川 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

救いへの道がここにある(使徒2章22〜28節)

ペトロの説教が目指しているのは、私たちが答えることです。私たちはどうすればよいのですかと、他ならぬ自分自身のこととして、私たちの人生の大問題として、キリストの出来事を捕らえることなのです。わたしたちはキリストということについて慣れっこになってしまっていることはないでしょうか。そうではない。それはわたしたちの生き死ににかかわる問題なのです。わたしたちの生き死ににかかわるお方なのです。
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2011年10月29日

神によって生きる(ルカ20章27〜44節)

死を滅ぼしなくすと言うのではない。
そうではなくイエス様ご自身が死をも引き込んでしまわれる。
死をつかさどり、人間を死の恐怖にしばりつけていたものどもはいないと言うのです。
だからイエス様は私どもを死の恐怖から解放されるお方であると、力強く告げられるのであります。

加藤常昭先生は私どもが経験した東日本の震災で、
日本人は、死ぬということを考えるようになったのではないかとおっしゃったのです。

死を思いめぐらすということはあったかもしれない。
しかし、死がこんなにも身近に、しかも死と直面することが、こんなにも突然、私どもの日常の中にあったのだ。そう思わないではいられない出来事であったのです。

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posted by かたつむり at 22:26| 神奈川 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

ハイデルベルク信仰問答第3主日

第3主日
問6 神様は人間を、そんなに悪く、正反対なものに、
お造りになったのでしょうか。
答 いいえ、そうではなくて、神様は、人間を、良いものに、
つまり、ご自身の姿に似せて、お造りになりました。
人間をまことに正しく、聖いものに、お造りになったのですから、
人間は、神様を、自分の造り主として正しく知り、心から愛して、
神様とともに永遠の祝福の中に生きて、
神様をほめたたえるようにして下さっているのです。


問7 どこから、そのような人間の堕落した性質が起こったのですか。
答 わたしたちの第一の両親、アダムとエバの、楽園での、堕罪と不従順とから起こったのです。
 そこで、わたしたちの本質は、毒されてしまいましたので、
わたしたちは、皆、罪のうちにはらまれて、生まれるのです。


問8 何か良いことに対しては、まったくをもって無能であり、あらゆる悪に対しては、それに向かう傾向がある。それほどに、わたしたちは堕落しているのですか。
答 はい、そうです。もしも、わたしたちが、神のみ霊によって新しく生まれるのでないのならば。



posted by かたつむり at 09:46| ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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