2013年03月31日

Frohe Ostern

教会の十字架kl.jpg

イースターおめでとうございます
教会の暦 イースターの日曜日 を読む
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2013年03月30日

主イエス・キリストの十字架

GiottoKreuz.jpg

主の御受難の金曜日、土曜日を過ごして

教会の暦 受苦日(カールフライターク)を読む カールザムスタークを読む
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2011年12月23日

教会報 きぼう 11月号より

なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。
(ルカによる福音書第二四章五ー六節)


 イエス様を葬るために墓に向かった婦人たち。でも彼女たちが向かったのとは正反対のところにイエス様はおられました。死ではない。主イエスは生きておられるのであります。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。」これが私どもの行き方です。十字架を思う。死を思う。悲しみ。苦しみを思う。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」これが聖書が告げる、私どもが進むべき、見るべき方向なのです。

 婦人たちが、こんなにも朝早く墓へと行った熱意について、ある人は大きな信仰に満ちた愛だが、それはまた、死ぬということに立ち向かう熱意だと書いていました。高価な香料を愛する主イエスのご遺体に塗ること。死ぬと言うことが、私どもの肉体にもたらすこと。それを少しでも妨げる。それに少しでも抵抗して香りを加える行為でありました。しかしそれが、すべての人間の歩む道の終わり。信仰深い人々のささげる愛。私どもも持つ同じ熱意である。そしてそれが、死ぬということに対する、私ども人間に、最後に出来ることだと、この人は言うのです。そのように私どもは何百万ものお墓に、悲しみと愛とを持って向かうのであると。

 しかし今日、私どもに示されたキリストの出来事は、それら墓へと向かう私どもの歩みを、全然違うものに変えてしまう出来事です。ここにおいて私どもの死が打ち破られる。墓に向かった婦人たちは、信仰の仲間たち、兄弟たちのもとへと戻るのであります。


−−きぼう11月号&2011年4月24日イースター礼拝説教より


きぼう11月号

イースター礼拝説教


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2011年03月26日

3.11の説教

「牧師として、説教者として、今回の出来事をそれぞれに重く受け止めてくださっていると思いました。皆さんの真剣さを尊く思います。
 あの9.11のように、3.11という日付が大きく刻まれ、それを境に生活が大きく変わったように思います。これからのわれわれの歩みのひとつの時の原点になると思います。私のような者は、この3.11以後という時代を生きつつ召されるのだと思い定めています。

 あれから二回の主日礼拝を過ごしました。それぞれにどのようなみ言葉の取り次ぎをされたのでしょうか…互いの言葉を聴き合うことが、今はとても大切だと思います…説教塾は3.11をどのように経験し、どのようなみ言葉を語ったか…

 大きく揺れ動いていますが、われわれ説教者の基本的課題との取り組みは揺るがずにしていきたいと思います」(加藤常昭)


2011年3月11日の後の、説教塾の先生方の説教集です。
他の先生方も紹介されると思いますが、ここでも紹介させていただき、リンクをはっておきます。


説教塾3.11のページへ

ラベル:3.11 震災 津波
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