2015年07月07日

恵みと義の賜物(ローマの信徒への手紙 第5章12−21節)

恵みと義の賜物(ローマの信徒への手紙 第5章12−21節)
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希望は欺かない(ローマの信徒への手紙 第5章1−11節)

希望は欺かない(ローマの信徒への手紙 第5章1−11節)
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2015年04月24日

信仰によって強められる(ローマの信徒への手紙 第4章13−25節)

次のように訳す聖書もあります。

「何の希望も抱くことが出来なかったのに、希望を抱き信じた」(ルター訳)。
「もう何も希望を抱くことが出来なかったのに、希望を捨てることなく、信じた」(ドイツ新福音訳)。

ニグレンという人のずいぶん古い注解書の言葉も紹介します。
「何の希望もないが、それでも希望を抱くこと。それがまことの信仰のしるしである。何の希望もないということと、それでも希望を持ち続けることとが、取っ組み合いをして争うというのです。何の希望もないことと、それでも希望を持ち続けることとが戦っているところ、そこだけに本物の信仰が存在している」。



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posted by かたつむり at 21:59| 神奈川 ☁| 説教 ローマの信徒への手紙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

死は勝利にのみ込まれた

もしそうならば愛する夫を嘆き、抱きしめているもともとのスケッチでありましたが、それが彫刻においては二人の立ち姿となり、嘆く妻が、逆に夫に抱きとめてもらっている姿ということになるのではないか。そしてその向こう側には、あの再会の、復活の主キリストをコルヴィッツも見ていたのではないか。

復活のキリストを通して、愛する人とのからだをもっての再会を見ているのではないか。今は亡き、愛する夫に嘆き悲しむ自分を抱き上げてもらっている。それがケーテ・コルヴィッツの「別れ」という作品の本質ではないだろうか。そうすると「別れ」という題でありながら、来るべき「再会」を復活の希望の中に見ている、もうひとつの「再会」という作品となるのではないか。今、私はそう思っております。


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アブラハムは神を信じた(ローマの信徒への手紙 第4章1−12節)

アブラハムは人間でした。苦しみ、悲しみを知っていました。神様の約束の言葉を聞いて、人間の思いでは信じられない、理解できない、約束の言葉を聞いて、そのようにしてくださると神様がおっしゃった天の星々を一人静かに見上げた人でした。



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