2015年02月23日

受難節に入りました

posted by かたつむり at 11:27| 神奈川 ☔| 教会の暦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福音の告げるところ(ローマの信徒への手紙2章12−16節)

hart nebeneinander ドイツ語の言葉遣いがうまく伝えられれば良いのですが、こう、ぎりぎりのところで隣り合わせになっている。信仰のみ、ということと、律法ということが、あまりにも近くに隣り合っている、そういうことを言っているのです。

こんなことも言っていました。二枚トランプのカードが並んでいて、その一枚を取り上げ、他の一枚は捨てる。そういう状況だと思ってしまうのではないかと。でも実際トランプのカードのようにするのは危険だとも言うのです。

差し出された手を私どもははねのけるのだが、しかしその手がまた私どもへの救いの手になっている。実際ここで問題になっているお方は、つまり神様なのですが、私どもを救うお方ですが、また私どもを裁かれるお方でもあるということなのです。




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posted by かたつむり at 08:55| 神奈川 ☔| 説教 ローマの信徒への手紙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神の憐れみを知る(ローマの信徒への手紙2章1−11節)

神の憐れみを知る
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価値ある生き方(ローマの信徒への手紙1章24−32節)

価値ある生き方
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2015年01月29日

神の働きは明らか(ローマの信徒への手紙1章18ー23節)

リュティ牧師は私どもの神はそのような父親エリではないと言うのです。そして説教の中でこうも問いかけるのです。この中のお父さんである方々に問いかけたいと。もし息子がおろかなことをして、そのままだところんでしまう。そのままだととても痛いことになってしまう。そういう状態ならあなたがたお父さんはどうされるのか。息子を叱るのではありませんかと。まず叱るでしょう。しかしその叱りは、父親としてのあなたがたの愛から来るのではありませんか、と。



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posted by かたつむり at 00:40| 神奈川 ☀| 説教 ローマの信徒への手紙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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